『文藝』春季号の批評特集、すこぶる面白かった!

瀬戸夏子さんと水上文さんの対談では、2020年の『覚醒するシスターフッド』号の瀬戸さんの論考にあった「薄皮一枚の肯定」についての話もあり、読んだ当時ガツンときた表現だったので、お二人が改めて掘り下げて話すのを聞けてとても嬉しい。

水上さんの『シェイクスピアの妹など生まれはしない』も、本当に今読めて良かった。
自身の裡に深くわだかまる「文学」への信念と閉塞感を書き出す論考が、そうしたジレンマと迸る思考の心象までも視覚的に感じとれるレイアウトになっていることにも唸った。

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『文藝』春季号

児玉美月さんのエッセイ『クィア映画批評と〈わたし〉を巡るごく個人的な断想』で、2月公開の『エゴイスト』では公式サイドから、「LGBT映画ではなく〜」等の表現を宣伝に使用することこそ「注意が必要な表現」であり「自身の中に偏見がないか見直しましょう」と発信されていると知った!

異性愛以外の関係性における愛を描いた映画作品は、日本ではこれまで判で押したように「普遍的な愛」との宣伝文句が用いられクィアの存在が繰り返し透明化されてきたけれど、今後は正確な言葉で表現するのが当たり前になってほしい。
(児玉さんによると2015年のとある映画では、配給サイドから「セクシュアルマイノリティを指す言葉の使用は禁止」とマスコミへお達しが出ていた(最低だ…)そうなので、変化はしているのだな…)

そして昨年日本でも公開された『ユンヒへ』では、配給・宣伝のトランスフォーマーが、作品へ対する「ヒューマンドラマ」等の表現を「女性同士のラブストーリー」と逐一修正していたそう。

『文藝』春季号

水上文さんの文芸季評の中で知ったのだけど、昨年ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーが、フランスで主に男性批評家らから受賞には値しないと批判され「炎上」していたと。

エルノーを「いつも自分にまつわるテーマばかりを扱っている」作家だと批判する人たちが、同じ口でミシェル・ウエルベックを推すのはギャグのつもりなんですか…?

その理由でもってエルノーへ批判を向けながらも、ウエルベック作品の常である、満たされない白人中年男性の悲しみやら苦痛やら欲望やらの屈託と感情を高く評価することには何ら問題を感じないとしたら、それは何故なのか思いを巡らせてほしい…。

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