それでも、こんな冴えない顔して家に帰っては、もう二度といけないことを知っている。ドアを開けるまでのどこかで何かでこの愁いを捻り潰して明るく朗らかにただいまを告げなくてはならない。アル中もヤク中も人格の上では等しくて、俺は誰のことも笑えない。

逃げ場を求めるところから間違っていて、誰だって自分と一対一に向き合うことから逃げてはいけなくて、自分を励ます手立ては、最後何を当てにするにしても、最初は自分の頭で矢印を引かなきゃ何も始まらない。

でも、子供相手にはそのまま通用しない気もする。どれだけ煽られてもこらえるようなことは職場でも日常だけど、大人げない大人よりも、無垢の子供こそよほど手強い。仕事で削られた上で子供にも削られてもまだ平気なほど、自尊心にゆとりがあるかという懐相談になってくる。

単純な話なのかもしれない。職場では家庭ほどあからさまに不機嫌にしていない。意識して努めてそうしている。結果、家庭で起こすような問題は起こしていない。なら家庭でもそう努めればいいだけのことじゃないか。仮面ではなくてそれは気遣いというもの。親しき仲にもという当たり前の話だ。

 仕事で逃げ場のない状況が続いている。その皺寄せで家族の前でもどうでもいいことで毎朝不機嫌にしている。キレる前に家を出てしまい、通勤電車の中で頭は仕事に切り替わり、夜には不機嫌というよりただ疲れて帰るので朝のような諍いにはならないけれど、翌朝にはまた不機嫌をぶり返すループだ。
 諦めたと妻には言われた。我慢しようねと子供らには。気分にゆとりがないと、どうでもいいことを、自分が家族に迷惑をかけていることと短絡する癖がある。自覚がないのに不機嫌になっている。どうにかしたい。そう告げたら匙を投げられた。ずっと言ってきたしこれだけかけても治せなかったものはもう治らないと。
 仕事がどうにかなれば朝の気分も持ち直すのだろう。けれどそれは根本的な解決ではない。家族との間に疑いの壁ができたことは取り返しがつかない。自分が別の何者かにならなければその壁は消えない。別の何者かになることを家族は助けない。家族も当てにせず、仕事が良くなることは当てにせず、先に自分でどうにかしなければならない。

昴は祖父が亡くなった頃テレビで流れてたな。親父を看取ったのに前後して、無理もないが親世代が次々鬼籍に入ってく

世の中のせいだ国のせいだと短絡するのは間違いって話は今度noteにも書くつもりで、つまりこんな悲観に囚われるまで俺にも老け役が回ってきたってことなんだよな

選ばれた者の恍惚と不安とみたいな高慢は確かにあのころはあった。この街を歩いて、今は場違いな気持ちしかない

地元の一部では吉◯◯ームは住◯一◯って呼ばれてるよ

まあもうこうなれば一人で抱えずに家族にもちゃんと考えてもらおう。小学生や十代でも疫病神を黙らせるくらい楽しめる、冷たい雨の止まない温泉&グランピングの過ごし方

20万かけて一家5人揃ってはたぶん最初で最後の家族旅行に連れていく話をしたと思うが、雨男の当初悲観通り雨予報の上、下の子が一昨日から風邪をひき、20万かけて一家5人巻き込んだアンガーマネジメント修行に最早なっている

なんなら死んでから推したりしてるんで…ってそれなら悲しくはないのか

俺なんかは古い曲が好きだったりなので、まあ次から次へと鬼籍に入っていかれますよね推しても推しても

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