ネタ消費と内輪受けがほかほかと暖かい、よくも悪くも超日本的な閉鎖空間になるんだろうな。。政治の話も国際情勢も環境問題もなんにも知りたくない人が(も)ずっと居られるゆりかご。
わたしは、mixiに限らずコミュニティというのがとくに好きじゃないし必要性も感じないので使っておらず、顔の見知った友人たちと日々のことや政治談議やらをあーだこーだ言える場が楽しかったのだが、今となるとあれはあれで非常に偏った層の集まりでしかないので、ぜんぜん知らない立場や経験や考え方を持つ人と出会う機会はまったくなくて、まあ要するに、たぶん今のわたしにはあんまり要らないんだろうなと思う。
閉じた遊びだけして心から楽しめるほど若くもないし、懐メロだけあればいいってほどおばあちゃんでもないのよね。
今のわたしにはmixi2は必要ないなあ、というだけの呟きだったけど、ここにものすごく偏見や強者の感覚が混じってるなあと思って、ここ数日反省しきりだった。
自分の中にうっすらと、ああいう絵文字を多用する感じとかが苦手で拒否感がある、その理由に心当たりはあるのだけど、理由はさておき「絵文字を多用している人=政治や社会問題に関心を持たない人」みたいなめちゃくちゃな論理の飛躍があるよね、ここに。そんな等式が成立するわけないのに。
好き嫌いとか、自分にとってそれが必要(大事)か、とかは、その字面どおりの意味でしかなくて、わたしに必要でないってことを言うついでに見下したり馬鹿にしたり不要なものだと断じる必要はないし、わたしが嫌いなもの/要らないと思うものを好きな人のことを敵対視しなくてもいいのにね。。 [参照]
ほんとはわたしは、こしあんもつぶあんもどっちも好きで、ごまあんもずんだあんも、優劣なんかまったくないぞ派なのだけど、じゃあ誰のことも疎外していないかというとそうではなくて、保存性や見た目を整えるために使われてる添加物でアレルギー起こしちゃう人や、動物性の添加物を避けている人のことは見捨ててる。わたしは無邪気に何でも好きに選べるけど、もっとずっと選択肢が限られている人がいる。
こしあんとつぶあんだけあればとりあえずOKでしょじゃなくて、同じこしあんでも食べられる人と食べられない人、何かに対してやさしくないもの、もっと配慮できるもの、いろいろあって、多数派で困ってない人は「それ以上細かいこと言うなよ」とか「そこまで配慮しきれない」とか言いだすんだろう。そうやって誰かの切実を踏みにじる。
「こしあんもつぶあんも認めてるからわたしは誰も切り捨ててない!」なんてとても言えない。