怪物を見た なぜタイトルを怪物にしたのか?
怪物というタイトルがコントロバーシャルなものだとは十分予期できたのではないかと思うのだが、誰かを怪物として糾弾する話ではないので別にそのタイトルでなくとも良かったのではという気が。母親と教師は最後自分たちの誤りに気づいて危険を顧みず廃車両に迎えに行くわけで、彼らが怪物として糾弾されているわけでもない(まさか子供達が「怪物」であるだなんで流石にそんな意図ではないだろう)
クィアへの偏見がどんなに愛情を持っていてもコミュニケーションの不成立と誤解を招きますよという描写はよかったと思うが、(テレビの「オネエ」タレントの描写とか)、帰り道に感想を話している人があの年齢で自覚ってあるの?という無邪気な疑問を唱えているくらいなので観客には伝わっているんだろうか。なおクィアをエンパワメントする話ではないがそれ自体はそういう話もあってもいいのではないかとは思う。