あなたを傷つける可能性があります。
アニメには、どうも違和感がある。できた、と言うべきか。
幼い頃はのめり込んだ。なぜか。幼い頃は自分の今後起こるであろう成長が非現実だったからではないか。僕にとってアニメはセクシャル。非現実で、アニメでは何が次に起こるかわからない。胸の鼓動が高まり、興奮する。なんでも起こりうるから、全てが起こる。
しかし、放映されるアニメは全て起こるわけではない。というか、アニメとして作品となると、始まりがあって終わりがある。こう言ってしまうと作者を傷つけてしまうかもしれないが、魔法が出てきても所詮は人形劇。さて人形劇も伝えられることはある。しかしそれは一体何か。
当たり前だが、魔法は現実世界にはない。物語という非現実に、さらに魔法という非現実を加える理由。理由。理由…
そんなものはないのかもしれない。ただそのキャラクターの愛らしさに微笑みを浮かべるために、作品は作られるのかもしれない。しかし、ではなぜ人は好き好んで心を揺れ動かそうとするのか?
日記
仕事への行き道小川を通りかかると、そばに小ぶりのウインナーみたいなガマが生えていた。長い人生一度はガマの穂を揉みたいもんだよなと眺めていると、おあつらえ向きに一本折れて地面に伏せている穂があった。しめしめ帰りに揉もうと思った。以前動画で茶色いガマの穂を指で摘むとゆっくりはじけるみたいにすごい量の綿が吹き出すのを見たことがあって、それ以来「ガマの穂を揉む」が死ぬまでにやりたい100のことリストに入っているのだ。でも、ちょっとインターネットすぎて恥ずかしいような気もする。その他には「マーモットをブラシで洗う」「ティラノサウルスの被り物で疾走する」「オオサンショウウオを連れてはんざき祭りを見に行く」などがあるがそれはそれとして、仕事を終えて帰り道ふたたび小川に差しかかり、あの折れていたガマの穂を探した。ようやく見つけたそれは無惨にもぽっきり折られて地面に転がっていた。やられた。同じくガマの穂を狙っていた輩に先を越されたのだ。おれのガマの穂が。白っぽい断面を晒し、ますますウインナーっぽくなったそれを悔しい気持ちでつまみ上げた。指に力をこめたが穂は固く、綿がほどけることはなかった。おそらく未熟すぎたのだろう。これを折った人も残念な気持ちになったに違いない。せめてそれを一緒に見られればよかったのにと思った。