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議論だけじゃダメなんだよ。結果を出さなきゃ、結果を。

yotsutabi さんがブースト

未来がなんにも見えなくても、全くないわけじゃない。明日がわからないということは、未来があるかもしれないということだ。

とある組織のことなんですけどね… 

何のために、が考えられない人が集まってるので、未来が見えないんだと思うんですよね。

つか今回は別のことで頭がいっぱいになっちゃって映画に集中できないパターンにハマってしまったなぁ…

すげーみんなが口論しまくってなじってなじって、とかゆーてる間に小説家がめちゃくちゃ哲学的なひらめきをとめどもなく呟いてて、好きってなんなんや…となる映画やったな。

エドワード・ヤン、誰がエドワード・ヤンなんだ?って思ってたら映画が終わった…😆

訂正する力、面白い。ある箇所で、「経済学は文系よりも理系に近い」と書いてあり、他の部分で、理系の人間と話した時に某斎藤さんの著作が理解できない、マルクスを読む必要があるのかわからない、と。…さて。

yotsutabi さんがブースト

ほんと、私はどう生きれば良いんやろか。

僕の夢は、僕の両親に幸せを感じてもらいながら寿命で看取り、僕も同じように幸せを感じながら寿命で死ぬことです。

歌が好きでイタリアに親戚が行ったりしてて、外国行くってすげーとか思うし、全然ビビリで俺なんか行ける気しねーって思うけど、行くんだったらドイツとかもーちょい東がいいなーって思う。

しかしまあ、僕は混じっていてぐちゃぐちゃなものが好きなので、そういう意味では中央ヨーロッパは気になるし、アニメも気になる。どこともなくエロいし。エロいからだけかもしれないけど、そうじゃない部分もあるのはもちろんわかる。エヴァとかぐちゃぐちゃになってておもしれーってなるのもわかる。

胡蝶の夢。
夢か、うつつか、やはり夢か。

夢は、現実化への道筋を…必要とするはずだ。
アニメはその道筋をどこまでつけてくれるのだろうか。

yotsutabi さんがブースト

あなたを傷つける可能性があります。 

アニメには、どうも違和感がある。できた、と言うべきか。
幼い頃はのめり込んだ。なぜか。幼い頃は自分の今後起こるであろう成長が非現実だったからではないか。僕にとってアニメはセクシャル。非現実で、アニメでは何が次に起こるかわからない。胸の鼓動が高まり、興奮する。なんでも起こりうるから、全てが起こる。
しかし、放映されるアニメは全て起こるわけではない。というか、アニメとして作品となると、始まりがあって終わりがある。こう言ってしまうと作者を傷つけてしまうかもしれないが、魔法が出てきても所詮は人形劇。さて人形劇も伝えられることはある。しかしそれは一体何か。
当たり前だが、魔法は現実世界にはない。物語という非現実に、さらに魔法という非現実を加える理由。理由。理由…
そんなものはないのかもしれない。ただそのキャラクターの愛らしさに微笑みを浮かべるために、作品は作られるのかもしれない。しかし、ではなぜ人は好き好んで心を揺れ動かそうとするのか?

yotsutabi さんがブースト

日記 

仕事への行き道小川を通りかかると、そばに小ぶりのウインナーみたいなガマが生えていた。長い人生一度はガマの穂を揉みたいもんだよなと眺めていると、おあつらえ向きに一本折れて地面に伏せている穂があった。しめしめ帰りに揉もうと思った。以前動画で茶色いガマの穂を指で摘むとゆっくりはじけるみたいにすごい量の綿が吹き出すのを見たことがあって、それ以来「ガマの穂を揉む」が死ぬまでにやりたい100のことリストに入っているのだ。でも、ちょっとインターネットすぎて恥ずかしいような気もする。その他には「マーモットをブラシで洗う」「ティラノサウルスの被り物で疾走する」「オオサンショウウオを連れてはんざき祭りを見に行く」などがあるがそれはそれとして、仕事を終えて帰り道ふたたび小川に差しかかり、あの折れていたガマの穂を探した。ようやく見つけたそれは無惨にもぽっきり折られて地面に転がっていた。やられた。同じくガマの穂を狙っていた輩に先を越されたのだ。おれのガマの穂が。白っぽい断面を晒し、ますますウインナーっぽくなったそれを悔しい気持ちでつまみ上げた。指に力をこめたが穂は固く、綿がほどけることはなかった。おそらく未熟すぎたのだろう。これを折った人も残念な気持ちになったに違いない。せめてそれを一緒に見られればよかったのにと思った。

汚い話ですが… 

排泄の時間だけが我々に残された自由な時間の一つであります

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