「あの」糸井重里が「博物館や美術館の人は愛想が悪い。それは、学校教師や役人と同じく、商業サービスから一線を画しているからか?」など発信しているらしい。
この言説自体は、「消費者視点」で、教育、医療、文化など「消費者サービス」とは異質な空間を攻撃・解体する典型的なもの。橋下の時の大阪維新も「公務員」を悪者にすることは重要な政治戦略の一つだった。ある意味でえらい「古い」。
その後、この「古い新自由主義」によって教育、医療、文化とも「ズタボロ」になった。公立・国立病院なども、「コンプライアンス」の名の下、「コンサル」野
郎達が財の流通に寄生し、たださえ減らされる予算をぶんどっていくので、現場は疲弊するばかり。これによってかつて「公共」の名で提供できていた臨床の質はダダ下がりになっている。
博物館・美術館もとっくの昔に独立行政法人化され、予算的に限界の所が多く、それでいて広告屋に「愛想」まで要求される。それでも、日本の美術・博物館員は基本的に「愛想」がいい。しかし、当人たちは疲弊しきっているのが実態である。
文化はともかく教育、医療はの必要性は日本社会で合意が獲りやすい。そこに「改革」の名で、広告屋やらコンサル屋やらが中抜きをする。これでは税と社会保障の再配分後、格差が拡大する筈である。