昨年、痴愚神礼賛祭り@専修大学で事務局長と務めた宮崎裕助という男が、今度は来年リオタール生誕100周年とやらのパネラーに女性がいないことを嘆いてみせているらしい。
笑止千万とはこのことである。1980年代以来ポストモダニズム@JAPANは、ライトノベル、SFなどのサブカルチャーと結びついて「ミゾジニー」を半世紀にわたって文化空間において爆発させてきた当事者である。
半世紀というのは、新左翼おじさん世代と東浩紀・宮崎裕助世代の2世代に渡って首都圏文化空間、とりわけ哲学・思想・芸術言説が、このポストモダニズム「ミソジニー」空間によって牛耳られて来たから。
ところで、リオタールは全くどうでもいい男であるので、女性研究者がいないことはむしろいいことだろう。つまり、リオタールをありがたがる男達は、小林康夫をはじめとして、「あほ」である。
リオタールに拠れば「フェニミズム」を解体すべき「大きな物語」にされかねない。実際私は駒場の院生の時、小林康夫が女性の発表に対してそのような「いいがかり」をつけていたことを記憶している。
そしてリオタール本人は1981年にはちゃっかり大統領選で右派のジスカールデスタンに投票し、第一次湾岸戦争でも「イラク討伐」を支持しているのである。