「法の支配 rule of law」と「法治国家 Rechtsstaat」
「法の支配」は英米法、「法治国家」は大陸法の概念とよく言われます。
英国コモンローはノルマン征服後、王権と貴族の「妥協」として成立した「判例の集積」。
政治的に見れば、ノルマン朝以来の英国王権は大陸王権より中央集権的。またバラ戦争、チューダー朝のヘンリー8世による大貴族粛清、修道院財産没収により、さらに集権化は進む。
しかし、王権神授説を唱えたジェームズ1世のスチュアート朝の際に、貴族・ブルジョア・地主(修道院没収の受益者)の下院との対立が激化、ついに革命に至り、チャールズ1世は処刑。クロムウェルの共和制を経て、一度は王政復古がなるも、オラニエ公ウェレムにジェームズ2世は英国は追われ、ここに議会と王権の「妥協」は「法の支配」として新たな段階に入る。
この現在にまで至る名誉革命体制の法的な特徴はローマ法継受と私法・公法の区別の不在。
逆に大陸ではまず絶対主義国家、その国家を後見役として私法が成立、その後私法の方法を適用して公法が成立すること。その流れはゲルバー、ラーバント、そして美濃部達吉が依拠したイェリネックに至る。
しかし、英国の「法の支配」から民衆は完全に排除にされていたことは忘れてはならない。