新古典派経済学者とはじめとして「グローバリズム」支持者は、「経済的相互依存」と国際分業が政治的に平和を保障する、と前提とするが、これは理論的にも経験的(歴史的にも)正しくない。
わかりやすい例は1930年代の日本。この時、最大貿易輸出国は中国、輸入国は米国だったが、周知のように日本は両国と破滅的な戦争に突入し、敗北。
これを理論的に言えば、近代世界システムにおいて、資本主義世界経済とインターステイト・システムは相互な「還元不可能」、ということ。
つまり、インターステイト・システムないし国家(国民)は、単なる「上部構造」ではなく、しばしば資本主義世界経済の「合理性」を逸脱する。
これは世界システムの覇権闘争(20世紀前半の英VS 独)として現れることもあるし、中規模国家が国民経済より先に誕生することもある。
例えばWWI前のポーランドは露・独・オーストリアに分割され、国民経済としてのまとまりはなく、故にローザ・ルクセンブルクはポーランド独立は無駄として独SPDに移動。
しかし、WWI後、ポーランドはまず政治的に独立し、それに合わせて経済を再編。
つまり国民国家の凝集力は存外に強い。ただ、これが「戦争」を典型とする非合理な選択を導くこともある。細心の注意が必要な所以です。