フランス共和制の聖典である『社会契約論』、元来著者であるルソーは「国民国家」のような大規模な政治体では「不可能」と考えていた(可能なのはコルシカのみ)。

 しかし、1789年に始まるフランス革命の過程でジャコバン派がヘゲモニーを取るに至り、『社会契約論』とルソーは一気に前景化する。後、19世紀中浮沈を繰り返すものの、第三共和制において、聖典化された。

 従って、18世紀研究者からすると、ルソーとジャコバン主義を結びつけるのは後世からの「錯覚」という主張になり、それは一理ある。実際ルソーは『社会契約論』で「国民 nation」という概念を用いていない。

 とは言え、ルソーの宿敵でもあったヴォルテールと比較すると、ルソーが「平等」の問題に遥かに敏感であったことは間違いない。

ヒトは本来自由でありながら何故至る所で本来「不平等」という鉄鎖につながれているのか?

この問いは「人間不平等起源論」からルソーにとって根源的な問いであり続けた。

これに対し、ルソーは当時すでに周縁的な理論装置となっていた社会契約論モデルを大胆に刷新し、しかもそれを古代共和政の語彙に結びつけることで答えようとする。

そしてこのルソーの問いはカント、フィヒテ、そしてヘーゲルといったドイツ観念論に決定的な影響を与えるのである。

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 カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルと連なる所謂ドイツ観念論、哲学史的には「自由の哲学」とされますが、全員ルソー及びフランス革命に熱狂し、「自由とともに平等」を、掲げることになります。

 一つの背景は、これらの哲学者がみな貧困層ではないにしても、下層(平民)階級出身であり、ドイツに強く残る身分制に強い反発を抱いていたこと。特にフィヒテはある時期まで、かなり貧困に苦しめられます。

 カントは、ある時期まで、自分の知性と努力で大学教授の位置まで這い上がったこともあり、若い時はある種の「自己責任論」・「能力主義に近い立場をとっていたこともありますが、ルソーを読み「ヒトは皆平等」という衝撃を受ける。

 ここも哲学史的にはヒュームの懐疑論によって「独断論のまどろみ」から醒めた、という点だけ強調されるますが、重要な点。

 実際、カントの自己立法、良心を中心とした倫理学はルソーの圧倒的な影響下にある。

 しかし、カントはまだ「奴隷 Knecht」を「主体」とは見做していない。

 フランス革命の衝撃によって、「主人は奴隷の奴隷である」として身分制を完全に一度葬り去ったのは『精神現象学』のヘーゲル。

 また社会秩序を「自己意識の闘争」の次元まで一度解体したのもドイツ観念論の内、ヘーゲルのみです。

  [参照]

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