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 1951年と言えば、日本では堀田善衛の「広場の孤独」が発表された年。また、サン・フランシスコ講和条約(日米同盟)に反対して、平和4原則、非同盟中立路線が社会のかなりの部分の同意を得る。

 欧州ではサルトル、メルロー=ポンティ、ボーヴォワールの『現代』を中心とした独立左派が朝鮮戦争の勃発のアルジェリア独立問題で、四分五裂へと追い込まれていく。

 この中であくまで「中立」と植民地独立を堅持したのがサルトルと『現代』です。メルロー=ポンティとカミュは、朝鮮戦争とアルジェリア問題にある意味「躓き」、冷静な状況判断能力を失って脱落していきます。

 そうした意味でユーラシアの東端と西端で「国際冷戦レジーム」への抵抗としての「中立主義」が成立し、ある期間までは有意味な参照関係が成立したのは、こうした世界空間の再編、という背景があったと思います。

 ロッセリーニ自身はその後、アッシジのフランチェスコの伝記(?)映画(「神の道化師 フランチェスコ)を撮り、ある意味、キリスト教左派的な社会主義に向かっていきますけれども(「殺人カメラ」)・・・

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