あと、「柄谷さん、相変わらずだなー」と感じたのは、現在の破局間際の資本主義に対するオルタナティヴを「所詮、システムに回収される」と他人事のように済ませていること。
勿論、メディアで広告されている「新しい資本主義」やら、SDGsものやら、怪しいものはあるのだが、柄谷さんは昔から福祉・雇用を確保するための福祉国家的再配分に全く関心がない。要するに「資本主義を延命させるだけ」という旧態依然たるマルクス主義と変わらない。
従って、瞬間的に政治に介入しようとしたNAM時代にも労働運動には全く関心がなく、基本消費者運動一点張りの姿勢だった。
これは、80年代・90年代柄谷さんが米国のリバタリアンに近い位置に自分を置いていたこととも関連する。90年代後半から2000年にかけて、私はその文脈のリバタリアン的主張は新自由主義を利するだけと主張、何度か論争的になった。21世紀に入り、さすがに「リバタリアン」とは距離を取るようになったのはいいが、どうも最近「宗教」に凝り始めたようだ。
しかし、柄谷さん(1941生)世代の高学歴者は実は世界史上稀に見る経済成長のお陰で、福祉国家的再配分が無用だったことには無自覚なまま。
これは80年代に「スキゾ・キッズ」(東浩紀)に可能性を見た浅田彰にも共通する。