しばらく目にしないと思っていた柄谷さんの、自己修正「回顧録」まだ「朝日」で続いていたようだ。
どうも年齢のせいか、「霊的なもの」に傾斜しているようだ。
ところでウィトゲンシュタインの「語り得ぬ」ものは、なにやらありがたそうな響きはあるが、たいした噺でもない。
英語圏で言えば、片や、量子論から素粒子論への道を開いた天才物理学者P.ディラック(平和主義者でもある)の「ウィトゲンシュタインは数学について何も理解していない」との批評、他方、K.ポパーの「火かき棒」の挑発でウィトゲンシュタインが応答不能になった、という例のエピソードでもう十分である。
柄谷さんも「語り得ぬもの」を安易に、「贈与」、「交換」、宗教と繋ぐ傾向があるが、これはそれぞれの概念が厳密に定義されていないため、結果として茫漠とした話になっている。
また相変わらず「資本=ネーション=国家」という安易な図式を使っているが、これは柄谷さんが等号記号の意味もちゃんと理解していないことを示す。
ついでに言うと、柄谷さんはこの「資本=ネーション=国家」の図式をヘーゲルで説明(濫用)している時期があったが、これは2000年の対談の時に私がヘーゲルについて話したことを変形したものである。
ただし、あまりにも不正確であるけれども。