「ヴェニスの商人とローマ法」
シェクスピア「ベニスの商人」の反ユダヤ主義は、「テンペスト」の植民地主義、「オセロー」の人種差別とともに、喧々諤々の議論が交わされて来た。
ご存じの通り、シャイロックとアントーニオは債務を変更できない場合、「心臓を提供」する旨の契約を結んでいた。
現代人には、この契約自体が「無意味」なものだが、ローマのの十二表法では、「債務者の身体の一部を切り取る」ことは立派に認められていた。
11世紀末にボローニャで再発見されたローマ法は商取引の発達とともに、欧州各地の法律家共同体に普及していく。
従って、16世紀のベニスであのような契約が法的に認められても不思議はない。実際法学博士に扮したポーシャも、「この契約自体は有効」としている。『権利のための闘争』のイェーリングは「ポーシャは血を出さずに肉を切れ」という詭弁ではなく、「公共良俗に反する」とすべきとしたが、それでは芝居にならない。
この芝居が16世紀ロンドンの民衆に喝采を浴びたのは、すでに債務に苦しみ人が多く、「債権者」側に立つ法律家への不満が高まっていたため。ただし英国は欧州で最も早くユダヤ人を追放し、金融はイタリア人が担った。ロンバート(ロンバルディア)街とはミラノを中心とする地方の名である。