「ソフィストについて」
ソフィストと聞くと、ソクラテスに論破された「詭弁家」というイメージが強いと思います。
これはプラトンが対話篇において、そのような役割を割り振ったため。日本の高校倫理や欧米でもWWIまでは、そうしたイメージが一般的でした。しかし事はそう単純ではない。
それぞれの国家が「正義」を掲げて大量殺戮を行い、その実態はと言えば帝国主義列強のヘゲモニー闘争だったWWI語、哲学の世界でもプラトンの「真・善・美」のイデア論への懐疑が高まり、ソクラテス以前の言説への関心が前景化する。
これは思想的には真っ向から対立するハイデガーとポパーの両者に共通する。
実際プラトン、アリストテレスは「奴隷制」を自明の前提としていたが、ソフィスト達の多くは「人は皆平等である」として奴隷制を否定。アルキダモスなどはその典型です。
「万物の尺度は人間である」で有名なプロタゴラスはペリクレス派の民主政支持者だったが、ペロポネス戦争後アテネ民主政が崩壊すると追放された。ちなみにプラトンは反「民主政」派である。
また同じくプラトンのテクストで懐疑論者として描かれているゴルギアス。彼は人には普遍妥当的な「正義」の認識は不可能ととしたが、一方合意形成による「正しさ」の共有は不可欠とした。