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 作家の星野智幸氏の「立憲民主党も左派の「正義」依存のコミュニティー化しかけている」という「朝日」の文章が話題になっているので、どれどれと覗いてみる。

 星野氏は読者を「失望させるのではないか」と心配なされているが、私は一度も「期待」したことがないので、「ああ、やっぱりこういう人だったのね」と自分の偏見を裏書きする結果となった。

 しかし、これ、一応「転向」宣言とも読めるが、あまりにもレベルが低い。控えめに言っても悪い意味で「ナイーブ」なクリシェ(紋切り型)でしかない。

 しかし、やはり己はかわいいらしく最初だけ「自分は何かに依存していたのではないか」と問うてみせるが、あとは延々と「リベラルは正義に依存し、「個人」を切り捨てている、と東浩紀と同じことを延々を繰り返して、「リベラル」を貶めている。ほとんど「ネトウヨ」話法である。

 ところで、星野氏は「文学の言葉」だけが「個人語」、「自分の言葉」だと仰っているが、「作家」の発言とは思われない。

 サルトルやデリダを引くまでもなく、言語とは他者を前提として成立する現象である。残念ながら星野氏はサルトルの「文学とは何か」をお読みならなかったようだ。

 星野氏が師と仰ぐ柄谷でさえ、この種の「文学主義」は批判していた筈だけれども。

 

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