この記憶が何故鮮明かというと、このNHKの番組の直後、麻布で加藤周一さんと食事した際、大江について議論したからだ。
その際、加藤さんは「大江君にとってよかったんじゃないの。これで彼も文壇内の視線を気にせずに筋を通しやすくなる可能性もあるし」と述べた。
続けて「大江君はどうも、ちょっと「日和見」の所があるからねー。その意味では長くあってなくても、絶対に信頼できる堀田(善衛)君とは違うんだよねー」と続けた。
考えてみれば、大江は1983年「新しい人よ目覚めよ」で堀田善衛と明らかに同定できる人物をかなり悪意をもって描いていた。
1983年というと、文壇・論壇で新左翼とポストモダニズムの同盟によって一斉に「戦後民主主義」への攻撃を加えられた年。サントリー財団、東大駒場中沢事件、「文明としてのイエ社会」、すべて連動していた。加藤尚武のあまりにも下品な68年の際丸山眞男が学生に「つるし上げれている」様を描写したエッセイが中央公論に発表されたのもこの前後である。
とは言え、加藤さんは悠然と「ま、ノーベル賞たら言うレベルには当然大江君は達しているけどね」と付け加えた。
ところで、阿部某は大江とミラン・クンデラの関係を研究しているらしい。この二人についても、実は、加藤さんは語っていた。