政治・文化などの「上部構造」は下部構造=生産力と生産関係によって規定される。これはマルクス史学の基本とされ、唯物史観とも社会構成史とも言われる。
しかし、社会構成体を土台(foundation)と上部構造(superstructure)のカテゴリーによって分析し始めたのは、17世紀英国の共和主義者J.ハリントンである。
ハリントンの場合、土台は土地の所有関係のことであり、上部構造は政治的権力。
この発想は、ハリントンはどうもマキャヴェリを「読む」こと+当時内乱・激動の英国政治の観察から練り上げたらしい。
共和主義者であるハリントンは下部構造に「平等性」を導入するために「土地の分配」を、上部構造には「官職交代制 ローテーション」の導入を提案した。
ハリントン自身は王室と関係のある貴族だったが、17世紀英国の混乱の原因は、土台と上部構造の矛盾にあるとして、王政打倒は「時の流れ」として支持。
ただ、現実にはチャールズ2世による王政復古が実現、ハリントンは投獄、発狂死する。
ハリントンの「共和主義」、ホッブス、ロックの同時代ながら日本では、一般の人には全く知られていない。
逆に英語圏では、やや過大評価(米革命への影響含め)される傾向にある。このあたり専門家は腕の見せどころではないだろうか?