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 J.F.ダレスは、サンフランシスコ講和条約の責任者でもある。

 1952年のグァテマラ、53年のイラン・モザデク両政権をCIA長官であった弟のA.ダレスとともにクーデタ―で転覆することに成功。

 また植民地独立を掲げるベトナム側に対して劣勢になった仏を軍事援助、仏撤退後、米軍直接介入の道を開きます。

 そして、キューバ革命が起こるとこれまた弟のアレンとともに「ピッグス湾侵攻」を計画。これはケネディ政権によって実行されるが、ものの見事に失敗。

 ちなみにゲバラは1952年のグァテマラのクーデターの際、当地に医師として滞在していた。民主的に選出された政権を米国が転覆するのを目の当たりにしてゲバラはラテンアメリカでは「革命」しかない、と判断、メキシコでカストロに合流した。

 またダレスは、日本とソ連の国交回復にあたり、国後・択捉を「日本の領土として要求すること」を事実上「強制」。つまり、日ソの間に「領土紛争」を設定したのである。
 この際、ダレスはこの要求を吞まなければ、「沖縄を米国領とする」と脅迫。当時沖縄は米国の「委任統治」とされていたため、国際法的には可能だった。
 逆にソ連側は歯舞、色丹は北海道領と見做して「返還」する用意があった。

 まさに現在まで繋がる対米従属の基礎を築いた男である。

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