今日は、中学・高校の同級生で、兵庫県弁護士会長を務め、現在「災害弁護士」として全国を飛び回っている人と十年ぶりにくらいに会う。
同じ中学・同級生で、「緩慢な自殺」とも言える孤独死をした人がいることを知る。
弁護士本人は至って元気で、「災害弁護士」として、阪神・淡路大震災、東日本大震災、能登地震などに飛び回っている。
地元神戸では、それなりに名が知られているらしく、神戸新聞の今年の憲法記念日の社説「災害と憲法」では、本人の名前が5回も引かれている。
今日は、維新の神戸侵略に対抗すべく、「神戸市長選に出ればどうか」という趣旨だったが、やはりそれはいろいろあって難しいらしい。
では、「地平社関西支部長はどうか」ということで話はまとまった。もちろん、この関西支部、現在は存在していない。
いずれにせよ、弁護士だけあって、拙著の「戦後改革と日本国憲法の制定」の箇所は読んできてくれていた。
いつもは「三宅の書いたものは難しくて、途中で投げ出すけど」と言われていたけれども、これも状況の切迫のなせる業だろう。
いずれにしても「維新と安倍派の連合に政権を獲らせるのはは絶対にダメ」という声は関西にもかなりあるようである。
その意味ではまだまだ戦略の余地はあるのである。