2000年代、ラテンアメリカで「反グローバリズム」が一定の広がりを見せていたころ、小沢健二は父親のドイツ文学者の主催する雑誌で、「うさぎ」という童話=政治評論を書いていた。
米国を基地帝国を命名し、それにチャベスのベネズエラやモラレスのボリビアの「反自由主義」を対置する、なかなかに要領よくまとまった評論だったので、1年生の学生にテクストとして読ませたりした。
「うさぎ」では新自由主義の問題だけではなく、ラテンアメリカの宿痾とも言うべき、大土地所有制と白人人種主義にも的確に触れられていた、と記憶する。
私もそこで小沢健二に一瞬期待したのだが、結局日本に戻ってコンサートもどきをやると、少し「左傾化」したと言われただけで、すぐに80年代「オリーヴ」的なものに撤退していった。
その時、やはり首都圏文化エリート2世の「ひよわさ」を実感した次第である。そもそも読者の少ない父親の主催する雑誌に連載する、という最初の選択からして「腰が引けている」。