J.ホイジンガに『中世の秋』という書物がありますが、ここで扱われているのは、パリのヴァロア王権に対抗したディジョンを中心とした傍系のブルゴーニュ家の領域。ほぼ、カロリング朝が分裂した際のロートリンゲンにあたる。
このブルゴーニュ公国は、当時北イタリアと並ぶ欧州の2大経済中心地であったフランドル地方をも支配。
ところがパリの王権との闘争に敗れて、フランドルの南部は仏に、最後の女伯はハプスブルク家のマキシミリアンと結婚することで、北部はハプスブルク領となる。このマキシミリアンの孫が神聖ローマ皇帝カール5世=スペイン国王カルロス1世。
カール5世と次のフェリペ2世は新大陸から強奪した貴金属をセビリアからアントワープに運び、そこで欧州統一のための大傭兵団を編成。同時にアントワープは覇権国家スペインの金融センターとなる。
しかし、ホラント州を中心としたネーデルランド連邦共和国が16世紀末から海洋覇権を奪い取り、総督派と共和派の内部対立を抱えながらも文化的にも欧州の一大中心地となる。
オラニエ総督派がカルヴァン派、共和主義派がアルミニウス派と大まかには分類できる。
国際海洋法の父とされるグロティウスは、カルヴァン派(総督派)に追われ、パリで「戦争と平和の法」(1625)を著すのである。