田中耕太郎は安倍能成、和辻哲郎、志賀直哉、谷川徹三など、「天皇の御学友」仲間、「心」グループ(天皇を囲む文化人の会)である。
WWII後第一次吉田茂内閣で文相、そこで「教育勅語はこのままで世界に通用する」の論陣を張った。
ところが、新憲法案審議が進むにつれて、「世界に冠たる教育勅語」という主張は非現実的となり、田中は教育基本法制定へと動く。
このあたり、丸山眞男が「オポチュニスト」と呼ぶ通りの行動様式である。
ちなみに南原繁は「心グループ」から毛嫌いされており、「GHQに菓子折りで取り入った」などいうデマを共有されていたた。この件については丸山眞男の証言がある。
田中はその後ワイマール期のカトリック中央党をモデルにした「緑風会」を参院で結成。このカトリック中央党は、SPDを排除するためにナチスの授権法に賛成決議をした。もし中央党が反対していたら、「合法的に」ナチスは政権を奪取できなかった。この責任はとてつもなく大きい。
その後、田中はレッド・パージを大学に適用しようとすれも、これは挫折。
しかしこの田中耕太郎を知識人のモデルとして造形する、というセンス、多いに首を傾げる。
ま、人脈的に御厨貴、五百旗頭薫、山口二郎とつながる牧原さんであれば、当然かも、だが。