蓮実と渡辺守章がセッティングした吉本隆明とフーコーの「対話」に関して、蓮実はここで「記憶が朦朧としている」などとしらを切っているが、私の記憶が正しければ、フーコーは吉本との対話後「二度とあんな馬鹿をつれてくるな!」と怒鳴った筈である。
結局蓮実も守章もフーコーにとっては市場が大きい日本語圏の代理店業者に過ぎなかった。
ところで、蓮実の病的なまでの権威主義、WWII時のドイツ国防軍に依拠することから始まって、平成上皇を学習院で、「茶豚 チャブ」と呼ぶほど親密な関係であったことを披露するまでにエスカレートしている。要するにこれでは「悪意」ある白樺派である。
さらに蓮実は日本軍国主義への抵抗として1944年の東大法学部25番教室での『風と共に去りぬ』の上映を挙げている。蓮実は総長時代この背景を可能な限り調べたが「わからなかった」らしい。
なんのことはない、これは撃沈した米軍艦にあったフィルムを戦争に批判的だった法学部スタッフがまず見た上でのこと。そしてそのスタッフの中心には丸山眞男がいた。
それに対し蓮実は東大総長時代、法人化を止めもせず、やったことと言えば東大教授の定年を5年延ばすことだけ。
これでフーコーは天皇制の権力を無視した、と批判しているのだから笑止千万とはこのことである。