ところで、いつも不思議なのは、政治学者達は共産党の「官僚制」を批判しながら、比較にならない巨大な国家官僚制や大企業の官僚制を全く批判しないこと。
当然ながら、官僚や大企業の重役は「民主的」に選出されるわけではない。
現在の資本主義社会では、人口の圧倒的大部分がなんらかの組織に属することで「生」の糧を得ている。そこで「民主的決定」に参加できる機会はまずない。
「投票」という主権者になる日は数年に1回しかない。
しかも、投票日以外の時間はあらゆる情報操作の洪水に晒された後に、である。
これではルソーが代議制を批判した「1日だけの主権者」そのものではないか?
要するに、現代社会全体を考えてみれば、官僚制の叢生こそが現実であって、政党の問題はその一部に過ぎない。
「民主的決定」に官僚制がマイナスであるとするなら、その批判は国家官僚、大企業組織にも向けられなければならない。
ところが、政治学者や行政学者は組織の民主化は一切語らず、「統治 ガバナンス」についてだけ饒舌になる。
こんなことでは、目の前の政権交代だけでなく、「民主主義」についても政治学者達の宣うことをおいそれと信用する訳にはいかないだろう。