蓮実重彦が群像3月号で、丸山眞男を罵倒しているらしい。
蓮実が丸山眞男を「理解」できたとは思えないが、「理解」できなくても「批判」する「言論の自由」は勿論ある。
ま、これは大学に行ったときに図書館に行って、蓮実の「馬鹿」ぶりを確認してから、批判することにする。ただ、最近、短期的記憶障害が激しいので、大学に行ったはいいが、この件をちゃんと覚えて図書館に行けるかどうか不安ではある。
蓮実は、千葉雅也さんに言及しながらフーコーについても語っているらしいが、これも笑止千万な話。
私は一応、蓮実もフーコーもすべて読んだが、蓮実がフーコーについて「語る」資格があると感じたことはない。
これは蓮実に限らず、日本の「現代思想」系や仏文系の人間が書いた、ほぼすべてのものに言える。
「監獄の誕生」や「狂気の歴史」、それにコレージュ・ド・フランス講義録については、日本の仏文学者にそもそも「理解」できる筈もないが、やはり最もひどいのは「言葉と物」である。
この本が「人間の終焉」の結語とともに、なまじ最も流行したことも災いした。
正直、仏文系の人間は『言葉と物』のレジュメを書けたこともない。
これは当然で、哲学に関する相当な知識とフーコーの言説戦略の双方を見抜く力が要求されるからである。