ネタニヤフ首相、ついに「パレスティナ国家を認めず」と表明。これで93年のオスロ合意は公式にイスラエルの側から破棄された。
これはパレスティナの側から見ると、1947年の状態に戻ることをを意味する。
長くエジプトを中心としたアラブ諸国はイスラエルを「十字軍」国家と見做し、第二次中東戦争で英仏イスラエルを戦略的敗北に追い込んだナセルが「現在のサラディン」とされた。
ところが、欧州ではナセルをヒトラーに例える言説がこの頃から流行。一方、仏でさえ「ユダヤ人をガス室に」という叫ぶ極右のデモは日常茶飯事であったのであるから、パレスティナ/イスラエル問題に関する欧州の無責任さは「根が深い」。
1947年のイスラエル建国を認めるかどうかは実は米政府内でも割れていた。国務省や軍はアラブ諸国を敵に回すことでソ連を利するとして慎重意見もかなりあった。
ところが、翌年の大統領選で、民主党系が三つに分裂したため、敗北が予想されたトルーマンは、ユダヤ・ロビーとユダヤ人票(投票率が極めて高い)を利用するため、イスラエル建国支持を決断。結果は僅差でトルーマン再選。
ちなみにマッカーサーは日本占領を切り上げて、この48年の選挙に共和党候補として出馬する意志があった。
この場合、歴史はどうなったのだろうか?