どうもSNSで「運動をする研究者はダメ」と珍妙なことを口走っている奇特な御仁がいるらしい。
ま、そう思うのは「ご本人の勝手」という面もあるが、しかし「運動をしない研究者」というのはどういうものだろう?
まず「運動をする」とはどういうことか?
これは元来アリストテレスの自然学の概念である。アリストテレスにおいては、物事の変化の原因を4つに分け、そのうちの一つを運動因とした。
近代の物理学は、他の4つの要因を排除し、「運動」にのみ、限定、それに数学的表現を与えることで進化してきた、と言える。
「運動」が「社会」現象について用いられるようになったのは19世紀くらいからではないか?例えばフーリエの『四運動の理論』。
それはともかくとして、研究というのは、その行為に抽象的な意味での「規範」を内在させている。これは言語行為論でも問題にされた所で、デリダはサールとの論争において「記述的命題」と「規範的命題」の二項対立は脱構築される、とした。
しかし、仄聞する御仁の「運動をする研究者はダメ」との言明、あまりにもあからさまな規範的判断の提示であり、それ自体立派な「運動」である。
あるいはデモに参加したり、政権の批判をする研究者を「ダメ」と言っているのであれば、その人はただの「あほ」である。