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 ハイデガーが哲学者・哲学史家としてずば抜けた「切れ者」であったこと、これは間違いない。

ただし、「思想家」としては、反ユダヤ主義者としてヒトラーに熱狂した、凡庸な羊の群れの一匹であったこと、これもまた間違いない。
 ゲッペルスでさえ、「ナチス左派」といわれた国民社会主義者ではあったが、個人的には反ユダヤ主義ではなかった。
 哲学博士としてゲッペルスは、反ユダヤ主義を信じ込むには「賢過ぎたのかもしれない」と書いたことがあったが、考えてみればハイデガーも哲学者だった。

 記号論理学の創設者とされるG.フレーゲも過激な反ユダヤ主義者であったことを考えると、これは20世紀ドイツのカント学派以外の「哲学者」の「反動性」という問題を考えざるを得ないかもしれない。

 逆にヘーゲルは、英米からはルソー、ヘーゲル、ハイデガーと並べて「全体主義」と括られることもが多いが、これは間違い。
 ヘーゲルはあくまで「啓蒙主義」者。であるから、ヘーゲルにおいては理性と主体は根源的にポジティヴなもの。
 逆にハイデガーは意図的に主体と理性を排除した。
 主体と理性の問題、これは複雑であって、これだけではどちらが「優れている」とは言えない。

 ただアドルノの「啓蒙批判」はあくまで「内在的」批判であって反「啓蒙」ではない。

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