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1931年の満州事変の際、治安維持法違反で逮捕された、泰淳、都留重人、荒正人等は数ヶ月留置の後、不起訴処分で釈放されます。

 運動に関与していなかった丸山眞男の場合は数日の留置です。

 ただし、運動の中心近くにいた、古在由重(1901生)、吉野源三郎(1899生)、そして埴谷雄高(1909生)の場合は、起訴・投獄となる。ただし、この時期は「思想は変えないが、直接運動に関与することはしない」と意思表示すれば、執行猶予ないし禁錮期間の短縮が行われます。

 陸軍に召集中で検挙された吉野源三郎の場合、軍法会議にかけられ、ガリレオを引いて「あなた方が何と言っても、地球が太陽の周りを回るように、世の中は社会主義に向かって進む」と陳述し、懲役2年、執行猶予4年(ただし東大図書館司書は解雇)。

 出獄した吉野は、ドイツ哲学の翻訳と山本有三が企画した『日本少年文庫』の編集に関わることで糊口をしのぎます。この文庫の最終巻が『君たちはどう生きるか』(当時は山本有三作として公刊)。

 また野呂栄太郎、羽仁五郎などの『日本資本主義発達講座』を伏字だらけながら出版はできた。であるから、日高六郎、加藤周一などはこれを「ひっそり」とではあれ、読むことはできた。

 しかし37年の日中戦争勃発から状況は激変します。

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