中村さんと同世代の仏語仏文学の研究者としては森有正(1911生)や三宅徳嘉(1917生)がいる。
森有正は初代文部大臣森有礼の孫、江戸時代の御三卿徳川篤守の孫、岩倉具視の曾孫。であるから、まさに上流階級。
三宅徳嘉は仏語を習ったことがある人なら、誰でも「知っている筈」の、仏語辞典の監修者。この人の父は当時の最高裁である大審院判事である。
また当時の仏文科教授でマラルメやボードレールの岩波文庫の翻訳者である鈴木信太郎は江戸時代からの富裕な米問屋、そして埼玉の大地主の家の息子。
鈴木信太郎は戦時中完全に「八紘一宇」や「聖戦」を信じており、加藤周一さんによると、米軍機が皇居の上を飛行した場合は「神風」によって墜落すると本気で言っていたらしい。
戦時中助教授だった渡辺一夫は、「上司」である鈴木信太郎には随分苦い思いをさせられた。
さて中村さんに戻ると、東大在学中は食事代を節約するために、大学の水道で空腹を満たしながら、まだ翻訳がないプルーストを仏語で読み続けた。
また日米開戦以降は、せめての「抵抗」として公共空間で「洋書を読む」ことはやめなかった。
その行為によって、民間右翼に因縁をつけられ、バスから降ろされ殴られることもしばしばだった。