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「フォークロアからサブカルチャーへ」 (中)

 二つの画期とは「応仁の乱」前後と高度経済成長です。
 高度経済成長については、説明は不要でしょう。
 「応仁の乱」前後、というのは、この頃から牛馬耕の普及によって、灌漑農業以外に、森林地帯の開墾が大規模に可能になり、また農業生産性が飛躍的に向上したために、「百姓」の「農民化」が急激に進み、「惣村」という単位に定住する人口が増大したことによるものと思われます。

 また、漂白の民や特定の産業に従事するグループへの「差別」がせり上げってくるのもこの頃から。網野善彦が「近世」以前の「百姓」は「農民」ではなかった、そして「被差別」という現象を中世末期から、という点を強調するのも、この点と関わります。

 とは言え、「応仁の乱」より前の具体的な「民衆の生活様式」については、断片的な資料以外からはほとんどわからない。

 従って、応仁の乱以前の日本史の記述は、古代の考古学・中国史書、記紀と六国史はほぼすべて「支配者」側の、しかも「断片的」な資料に基づいたものになる。摂関時代は高級貴族の日記、そして平安末期の画像資料としての絵巻物も、「源氏物語絵巻」などの宮廷」物、「前九年合戦絵巻」(200年後の後白河院政期に描かれた)、ともに支配者上層を描いたものとなります。

 

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