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フォークロアからサブカルチャーへ―「民衆」文化から新自由主義消費社会への包摂へ(上)

 少し前に、「曽我物語」と漂泊する「贄前さん」の語りについて書いたのですが、振り返って見ると、近世、部分的には中世から続いてきた「フォークロア」的なものは、ほぼ1950年代末に消滅し、漂白する「贄前さん」や瀬戸内の「海民」(生涯を海の上で暮らす人々、東南アジアでは現在でも少数ながら残っている)のような例外的な人々も1970年代頭までにはほぼ姿を消したと言ってよいでしょう。

演歌歌手の藤圭子の母は「贄前さん」であり、娘が宇多田ヒカルなので、ある意味このタイトルの「フォークロアからサブカルチャーへ」の移行を体現している、ということになるかもしれません。

私自身の記憶を遡っても、祖父母(1910年代生まれ)、曾祖父母(19世紀生まれ)の家を子供の頃訪ねたたり、話を聞いたりした折には、たしかに「フォークロア」的な「世界」がまだ残存していましたし、逆に彼らは「サブ・カルチャー」的なものとはまったく無縁でした。

 おそらく私の親(1944年生)の世代が、この両者のはざまを生きた、ということになる。

これは、いわゆる日本史における「民衆の生活様式」の2つの画期に対応していると思われます。

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