「日本のデリダ派の胡散臭さ」についての補足
勿論、一般にはデリダ派と見られる方にも、ー特に前の世代にはー高橋哲哉さんや鵜飼哲さんのような、研究者として抜群の能力をもち、かつ政治的にもフットワークがある、この世代を代表する「知識人」の方もいます。
私がここで言及したのは、東浩紀顕彰シンポジウムをわざわざ、このタイミングで行う、駒場の元神(自称)の宮崎裕助さんを筆頭とする「脱構築研究会」、及び登壇する人間のことを指します。
しかし、デリダ派には高橋さん、鵜飼さんのような人がいるが、日本のドゥルージアンで「まともな」人、というのはちょっと今、頭に浮かんでこない。
そう言えば「ガラパゴス」OBの佐藤嘉幸教授、『ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』とやらで、高橋哲哉さんに「デリダ派」と名指しで因縁をつけ、徹底的に反論された。佐藤君、君、唐竹割りで「ばっさり」畳まれてましたねー。
あのね、君の実力で高橋さんに因縁をつけるの100年早いの。
これも京大「ガラパゴス」内で浅田が高橋さんを「えらそー」にこき下ろしていたために、勘違いしたのだろうけど。
「夜郎自大」、「井の中の蛙」とはまさに君のような京大「ガラパゴス」の連中のためにある表現だとは思わないか?