ヴィスコンティ自身は、13世紀にはミラノの支配者であったヴィスコンティ家の傍流にあたる公爵家の出身。
ヴィスコンティ家はローマ教皇グレゴリウス10世を出すことでミラノの支配を確たるものとする。
しかし、盛期ルネサンス期には傭兵隊長出身のスフォルツァ家にミラノの支配権を奪われる。かのレオナルドのパトロンとなったのが2代目のルドヴィーゴ・スファルツァ(通称イル・モロ)。
ヴィスコンティ自身はWWIIの際、反ファシズム・レジスタンスに参加する過程でイタリア共産党に入党。その点ではやはり貴族出身でありながら、第5代PCI書記長となったE.ベルリンゲルと近い軌跡と言える。
ただし、ヴィスコンティ自身はバイ・セクシュアルであることを公言(イタリアの貴族階級では珍しくない)。
戦後の王政廃止の国民投票の際には、王を中心とする貴族階級の「性的倒錯」が廃止側の大衆動員の旗になったので、ヴィスコンティ自身は内心葛藤を感じながらも、尚「王政廃止」に一票を投じた。
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、『揺れる大地』など初期のネオリアリズモ的なスタイルから、PCI脱党後、『山猫』、『ルードヴィヒ』などの絢爛豪華な「滅びの美学」へと傾斜。
個人的には両者の接点となる『若者のすべて』が最高傑作だと感じる。