朝鮮語と日本語は仏語と独語よりはるかに遠い。中国語は勿論だ。
そして留学ではなく、幼年よりこれらの言語のバイリンガル、トリリンガルの人は日本にもたくさんいる。
何故、その人たちではなく、仏語を習得した自分だけが「二つの言語を往復する」特別な知性を持ち合わせると主張できるのか?(そう言えば、これ松浦寿輝が君と全く同じことを言っていた)。
要するにある時期までの「西欧」しか参照枠がなく、「知的なアジア」を完全に欠落させた「エピステーメー」の内部にいるからだろう。であるから「西洋文明」に「嫉妬している」などという突拍子もない憤怒の言葉が出てくる。
それから主語が云々の話だけど、源氏物語で主語が出ないのは「読者」にとって、発話の主体が「誰」かが自明であったため。それだけ狭い宮廷社会のなかでこそ成立した。
逆に欧州語でもラテン語・イタリア語、スペイン語は動詞の活用で主語がわかる場合、主語は消えるでしょ。