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 ところで、フランス思想研究者にも、フーコー、デリダにも言及する人が、サルトルについては時々図書館で翻訳を借りるだけでいい、と横着な態度を示す人がいるようだ。

 『存在と無』は言うまでもないが、文学研究者でサルトルに言及しようとするほどの人なら『聖ジュネ』と『家の馬鹿息子 G.フローベール論』は原書と翻訳を両方手元に置いて蛍光線と付箋を使うべきだと思う。

 私はフーコー、ドゥルーズ、デリダに関してはそうしている。

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