「敵こそわが友 K.バルビー」
K.バルビー(1913生)、SS情報将校としてWWII中、ヴィシー政権の下、リヨン、ディジョンで「レジスタンス」組織の摘発、拷問、虐殺を担当。
バルビーの指揮下で「自由フランス」国内最高司令官J.ムーランをはじめとする大量のレジスタンス参加者が拷問、銃殺された。
WWII後、アメリカ陸軍情報部(CIC)は「反共」工作のため、バルビーを匿い、雇用。しかしフランスがそれに気づき、引き渡しを要求したため、バルビーはカトリックやイタリアの反共組織(旧ファシスト党)の手引きで、ラテンアメリカに亡命。
ボリビアで軍事政権の顧問となり、大きな役割を果す。1967年のゲバラ捕縛、処刑にはCIAとともに関与。
しかし1982年ボリビアで文民政権が成立すると同じ社会党政権である仏ミッテラン政権に引き渡される。
1984年からリヨンで公判で最高刑である終身刑(仏は死刑廃止)。
1991年刑務所内で77歳で死亡。
しかし、アイヒマン、バルビーはむしろ例外で、多くのナチス、イタリア・ファシズム関係者は亡命先のラテンアメリカで右派軍事政権の下、優雅な暮らしを全うした。