20世紀演劇をS.ベケットとともに代表するB.ブレヒト。
フランスにブレヒトを導入したのは、あのロラン・バルト(1915―1980)でした。
バルトはサルトルの影響下に『零度のエクリチュール』(1953)を著します。
その後、『記号学の原理』などで「構造主義」批評に分類されたりもしますが、『テルケル』でソレリスやクリステヴァに神輿に担がれたりしますが、毛沢東主義にはついていけず(「文革期」の中国には「行くだけ行ったが」)、晩年再び記号論からは離脱。
バルトの青年期の愛読書はジッド(プロテスタント・同性愛者でもある)、ブレヒト、サルトルだった。
バルトは1964年に上梓されたサルトルの幼年期の自伝『言葉 Les mots』を絶賛。「サルトルは近いうちに再発見されるだろう」と予言。
しかし、このバルトの予言はまだ
仏・英・日では広くは「実現」していないようです。
また、バルトのイメージ自体も同様に三カ国すべてで「歪めれたまま」。
バルトの弟子だったA.コンパニオンが「転向」してソルボンヌ教授に収まり『反近代』(19世紀仏における)などという「当たり前」の話を書いて「大物」と見做されている。
「ヨーロッパの心臓」いつ再鼓動してくれるのか?