「正義は必ず勝ちます」ー江口朴郎と土井正興
剣闘士奴隷については、ローマ史研究において、昨今様々な蓄積がある。
しかし「スパルタクスの乱」についてはそれほど進展が見られない。これは勿論資料上の制約もあります。基本的に「剣闘士奴隷の反乱」については「鎮圧」側の限られた資料しかありません。
実は、剣闘士奴隷の反乱、とりわけ「スパルタクスの乱」についての研究が最も盛んだったのは冷戦期の旧東欧圏においてでした。
日本ではローマ史研究としては泰斗、弓削通さんが有名ですが、同世代に土井正興さんというスパルタクス研究専門の人がいました。土井さんは1924年生れですから、戦中は熱烈な軍国青年。ですので、当時旧制姫路高校の教師だった江口朴郎さん(歴研西洋史、アラブ史のボス)の授業のトーンが気に入らない。
或る時、土井さんは「先生は一体日本が負けるとでも思っているのですか!」と詰め寄った。そこで江口さん、少しも慌てず「正義は必ず勝ちます」と答え、素直な土井青年は納得して引き下がった。
現在、日本でスパルタクスを研究する人はいない。弓削さんの後、ローマ史と言えば本村 凌二 さんが世間的には有名だが、この人、塩野七生の「ローマ人の物語」をー「リーダー論」としてー文献リストに挙げる「うっかり者」。いやはや。
東京教育大学「解体」事件と再訂正
弓削達(正)
失礼しました!
弓削さん、首相の靖国参拝にも住民基本台帳にも反対していた。
尚、弓削さんは現在の「大学解体」のプロトモデルである「東京教育大学解体ー筑波大学へ」にも文学部長である家永三郎さんらとともに強く反対。
当局は家永三郎さん他の辞職を文学部教授会に要求するも、これを教授会は拒否。1973年に政府は筑波大学設置法を通し、最終的に文学部は廃止された。
これによって首都圏の日本近現代史研究の左派的拠点の一つが解体されます。伝統的に東大本郷の「国史」近現代史は伊藤隆をはじめとした「右派」。
歴研系は一橋と都立。しかし都立も首都大に改編。一橋(日本史)は自滅した。
尚、この東京教育大解体の際、筑波への移動をあくまで拒否した浜林正夫さん(17世紀社会思想史)は「超法規」的処置で一橋に移った。
弓削さんは1974年に東大駒場へ移動。何故か東大は古代ギリシア史は本郷、ローマ史は駒場なのです。