BT)この竹倉文人という人、私は知らなかったが、自称「メディア・アーティスト」落合陽一と対談しているようだ。自称「人類学者」と「カーストや身分制にもいい所ある」人の対談、ろくなものではあるまい。
人類学者の人たちは「この人、人類学者ではない」で済ましてしまうだろう。考古学や歴史学の人も同様。
サントリー学芸賞の選評をこのリンクから飛んで読んだが、これ滅茶苦茶だな。しかし評者の佐伯順子さん、元来「ノンポリ」だった筈だが、どうしたことか・・・
ホンジンガに例えるとは「正気」とは思えない。
「専門知」というより、文化マフィアの「常識」への挑戦だなー。
「縄文脳インストール作戦」、意味不明だが、いわゆる「縄文文化」について少し補足。
現在の研究成果では、「縄文期」に列島に暮らして人々と現在の「日本人」の間にはまず遺伝子的な繋がりがない。かつて「蝦夷」と言われた東北地方の人々もやはり弥生期に北上した来た。
考古学的にも「縄文文化」と「弥生文化」は断絶していることは前提。
であるから、縄文文化は日本の「古層」という梅原的な駄法螺は完全に否定されている。
本居宣長が依拠した古事記も、応神以降の断片的な史料を基に7世紀に編纂された。
また7世紀以降の日本社会激変し過ぎて、単数形で語るのは無理。