「天皇制の廃止」に関して言えば「労農派」は概して天皇制廃止に拘らない、ファシズムに批判的な立憲主義的自由主義者たちは、天皇個人は崇拝している。軍部が「陛下のお立場を悪くしている」といういわゆる重臣リベラリズム。

であるから美濃部達吉なども戦後「明治憲法改憲の必要なし」と主張。つまり憲法の「運用」を間違っただけという認識なのです。

丸山眞男でさえ、1948年に「超国家主義の論理と心理」を『世界』に書く過程で立憲君主制から共和制へと立場を変えました。

獄中体験(埴谷・荒正人・野間・武田)、地獄のフィリピン戦線(野間・大岡)、東京大空襲(堀田・加藤)、広島における被爆(丸山)、中国における降伏(武田・堀田)をといった戦後派の「経験」と比較すれば、平和と成長の下で「のんべんだらり」と文化エリートの中でだけふんぞり返っている蓮実重彦とは、潜り抜けた「修羅場」の次元が違うのです。

であるからこそ、元来小林秀雄の仲間だった大岡昇平は80年代危機感をもち、『世界』にて埴谷雄高と対談『二つの同時代史』において後世にメッセージをのこそうとした。

蓮実は大岡昇平を「戦後派」に入れるのは「間違い」と件の『近代日本の批評』で「せっせ」と主張していたが。さすがに柄谷はそれには同意せず、やや喧嘩気味になっていた。

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ただし、高野岩三郎を中心とした憲法研究会(鈴木安蔵、森戸辰男、馬場恒吾ら)の憲法草案は「日本共和国」案でした。

日本政府側の憲法改正草案はほぼ明治憲法のままでしたので、GHQは民間の高野草案を示し、「人民(peuple)主権」を明記しない場合、民間での議論に委ねる可能性を示唆しました。

ここで日本政府側も妥協し、「国民主権」と翻訳した上で「国民」の定義は後に定める、という所謂「国籍条項」を入れさせた。

この際、日本の司法官僚の念頭にあったのは、旧植民地出身の在日コリアン、中国人の人々でした。彼らは「来るべき」独立の際、これらの人々を「国民」から排除することを最初から企図し、サン・フランシスコ講和条約とともに当該の人々の市民権は消失します。

ところで、日本国憲法は国会の審議過程で修正された部分もあります。その典型が25条の「生存権」。25条は高野岩三郎の弟子、森戸辰男の強い主張によって修正条項として追加されました。

ここにおいて「福祉」は国家に市民に対する「恩恵」ではなく「権利」であることが明記された。

しかし支配層は未だに「権利」ではなく「恩恵」としてしか考えていない。であるからこそ、「恩恵」としての福祉から政府は撤退する、という構え。

ですから改憲の対象は9条及び25条になるでしょう。

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