大庭健さん(1946-2018)は東大全共闘にもっともコミットした人の一人。
ただ、運動の後研究の道に進んでからは運動経験を直接語ることは「飲み」の席でもなかった。
大庭さんの廣松さんの弟子でありながら、一定の距離をー哲学的にも人間的にもーとって、いわば「大庭哲学」を造り上げたと言ってよいと思う。
私が東大「全共闘」には批判的であることを知りながらも、哲学的討論には「極めてフェア」に応対してくれた。
研究会の際も、その後の「飲み会」(こちらの方がより本音の議論ができた)、20歳以上年下の私を「三宅さん」と呼び、こちらにも「大庭先生」ではなく「大庭さん」と呼ばせた。
「現代倫理学研究会」は私が記憶しているだけでも、熊野純彦(「廣松組の若頭」と呼ばれていた。)、斎藤純一、千葉真、カン・サンジュン、中野敏男、岩崎稔といった人たちが出入りしていて、「歴史修正主義」やリベラル―コミュニタリアン論争の「無意味さ」についてなど議論していた。
ただ、「研究会」の空間が完全に「between men」であったことは印象的だった。この点は大庭さんもそうで、時々「魂消る」ような発言を連発することもあった。ただ、それは「批評空間」のように先鋭化された「ミソジニー爆発空間」ではなく、「全共闘」の「おじさん」空間。