もちろん、開沼、特に古市があまりにも「際物」になってからは、東大社会学関係者は距離をとる身振りをし始め、デビュー責任者の瀬治山角なども「製造物責任」が自分にある、などと言って一応批判してみせた。
古市も「社会学を学び直した」らしいが、やはり「社会学者」は難しいと判断したらしく、途中から「作家」を名乗り始め、何と二度も芥川賞最終選考に残った。
ちなみに最終選考はプロの小説家である選考委員が判断するが、応募作の中で「どれ」を「候補作」に残すかは、控えめに言って編集部がかなり関与する。
これは千葉雅也の場合も同じ。幸いにして「小説」としてあまりにも稚拙と選考委員が判断したので二人とも受賞はならなかったが。
しかし芥川賞候補作として報道されるだけで、真面目に「作家」と受け取る人も出てくる。これも千葉も同じ。
その文化資本を元手に東浩紀とともに自民党応援団を続けているのだから、「語るに落ちた」とのはこのこと。
日本の文化産業の退廃も末期症状と言えるでしょう。
やはり、オルタナティヴ・メディアが強く求められます。
勿論SNSもその一つですが、同時に権力から自立し、権力を批判できる独立系出版社は必要です。
ということで、ここから先は「すぐ」という訳に行きませんが、1年以内には「乞うご期待!」です。