季刊「思潮」から「批評空間」へ

三浦雅士が「舞踊研究家」を名乗り、レイシズムを「身体的所作」云々で語った(騙った)ように、1970-80年代は、アングラ演劇が新左翼、後にポストモダニズムと並走していました。

1988ー90年に発行された季刊「思潮」は、その総決算的な雑誌。編集員、鈴木忠志(早稲田小劇場)、市川浩(ベルクソン研究・身体論)、柄谷行人、3号から浅田彰です。

ここで連載され、単行本化もされた「共同討議 近代日本の批評」(浅田、柄谷、蓮実、三浦)が日本の知的空間に与えた負のダメージははかりしれない。

三浦の発言部分は一応「論外」。これは浅田、柄谷も認めていた。

しかし蓮実重彦。明らかに「一夜漬け」(浅田)だとわかる日本文学に関する「薄い」知識と思想史・歴史に関する「無知」を、例の「傲岸不遜」の悪口雑言で隠しながら、ひたすら「戦後文学」を貶めている。

この「討議」の効果もあって、「戦後文学」を研究する人間がいなくなった。ま、これくらいで研究がなくなるのであれば、「近代日本文学」研究など「いらない」けれど。

また、ここでの蓮実の加藤周一、林達夫への罵倒は凄い。

蓮実は一方で東の本を「勇気をもらった」などと賞賛してたわけだから、実質サントリー・笹川の走狗として活躍したと言える。

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蓮実重彦、1997年から2001年の間東大総長を務めたが、国立大学独立法人化の趨勢に対して、結果的には何のブレーキも掛けられなかった。

総長時代に行った主要な「改革」は東大教授の定年を65歳まで伸ばすことだけ。

国立大学法人化の際、「リベラル」系の人も文科省から「独立」できるから「いいのじゃないか」という声も上がり脱力した記憶がある。

これは日本政府のいつもの撞着語法。もちろん、法人後、大学の自治は空洞化され続け、ついに現在「学術会議」、憲法23条「学問の自由」への攻撃に至った。

この独立法人化の例でもわかるように、「新自由主義」は国家権力を強化する、ということが理解できない「リベラル」の人が多すぎる。

また「リベラリズム」と「ネオ・リベラリズム」はそう簡単に区別できない。

18世紀からの自由主義―資本主義体制の歴史において、「民主主義」や「社会保障」への妥協が行われたのはWWII以後の北西地域の30-40年だけ。

また近代世界システムの覇権国家闘争に勝利したのは、コンパクトな「強い国家」が要因。逆にフランスは、国家の統治機構が粗放すぎて、脱落。

ハイエク、フリードマンも軍事、警察、司法など「国家」の「右手」(ブルデュー)は強く擁護した。

このあたり詳しく検討する必要があります。

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