1950年代は、北九州の筑豊などの中小炭鉱も次々と閉鎖、ないし労組は解体されていきました。
ですので、1953年に一度攻撃を退けた三池炭鉱は最後の砦だったのです。
しかし、岸退陣後、政権を継承した池田勇人は、改憲問題・治安問題には「低姿勢」をアピールしながら、三池争議に対しては国策として「弾圧」を決定。
国家権力に「弾圧」の主目標とされては、ただでさえ疲弊した三池炭鉱労組、炭労(炭鉱の全国労働組合)、そして総評にも、「降伏」以外の選択肢はありませんでした。
未だに「宏池会」的なものに期待する傾向がメディアでは後を絶ちません。
しかし、宏池会の創業者池田勇人が「貧乏人は麦を食え」の人であり、三池争議を弾圧する決定をした当事者であったことを考えれば、そのような期待は「白昼夢」に等しい、と言えるでしょう。
「疑う者は岸田文雄を見よ!」と言ったところでしょうか。
尚、筑豊の中小炭鉱の閉鎖を背景にしたのが、上野栄信「追われゆく鉱夫たち」をはじめとした、森崎和江、谷川雁の初期著作であり、そしてこのグループと石牟礼道子が結びついていくのです。
上野栄信(誤)
上野英信(正)、
尚、「疑う者は・・・を見よ!」は私の独創ではなく、
「疑う者は、ダヴィデを見よ!」
のパロディです。
割と有名な20世紀の日本の歴史家の文章です。さて誰でしょう?