ある場面で、ぎゅっと心を掴まれました。苦しいくらいに。
デーリン・ニグリオファ『喉に棲むあるひとりの幽霊』(吉田育未訳)は、ジャンル分けするのが難しい、けれど、読む楽しみに満ちた小説でした。
基本的にはアイリーン・ドブ・ニコネルという実在する詩人を追いかけるデーリン・ニグリオファのお話なんですが、著者であるニグリオファがそもそも魅力的で、情熱的で、好きにならずにはいられない人なんですよね、惹きつけ方もうまいし。やることリストで共感させつつ(リストを削除する快感ってなかなか書かれたことのない喜びじゃないですかね)、謎めいた搾乳器に振り回され(説明をなかなかしないの上手いですよね)、すっかり好きになっちゃったころ、ぎゅっと心臓を握られちゃうんですよ。
公営医療の看護師が訪問検診にやってきたとき、詩人について調べているのを知られてしまう。そのとき、看護師は、こんなことをいう。以下、引用。
〈「夜間授業でも受けているのですか」。わたしは首を横に振る。「じゃあ、これは何のために?」〉
何のためにと聞かれて、でも答えられない。簡単には答えられないけれど、自分にとっては切実に大切で、大事で、どうしても手放せないものごとは誰にでもある。
何をやってもうまく行かないパートというのは必要だけど(試行錯誤がなければ達成が得られない)、しかし人は試行錯誤の苦しみを長々と文字で読みたいとはあまり思わないものです。
そういう意味では、とても語りに工夫が凝らされていて、だからこそ読む楽しみに満ちているのかもしれない。