原爆ドーム前のスタンディングに参加してきました。
今日はガザへの攻撃が始まって百日でした。それぞれ、みなが花や食べ物を持ち寄って、祭壇を作りました。ぼくは百合の花と、スイカチップスを持っていきました。
レベッカさんがフムスを作って、フランスパンにつけてみんなで食べました。フムス、まったく知らなかったので帰宅して調べてみると、ペーストのひよこ豆にガーリックが香るもので、中東料理といえば真っ先に名前があがる料理だそうです。これがですね、すごく美味しかったんですよ。
あと、昨日のiPadのかたがいらっしゃったので、今度はアップでチャレンジしました。
参加者のお一人から「右とか左とかで考えていると、人々のために立ち上がったはずなのに、誰かを傷つけてしまうのかもしれない」という演劇を見たという話から、「この運動にもそういうところがあるのかも」と続いた。「ぼくは右左ではなくて、人権侵害があるかどうかで物事を見ます」と話した。

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なぜそれが大事なのか。
以下、引用します。
>国際人権は、第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人の大量虐殺のような大規模かつ重大な人権侵害な対する強い反省から生まれた。
>ドイツには、世界に誇るワイマール憲法がありながら、政権が自国民をアウシュビッツに送り込むことを阻止することができなかった。
>このことから、一国の憲法は、人権保障の最後の砦になりえないことを知った人類は、国際社会を基盤とする国際人権という新たな人権保障枠組みを構築したのである。
引用は山下泰子「差別の現状を変えていく女性たちの連帯と協働」(雑誌「部落解放」2020年3月号)より。
今、パレスチナで起こっている虐殺は、国際人権という枠組みが試されているのだと思う。ここが崩れてしまったら、何もかもが失われてしまうといっても過言ではないと思っています。
だからこそ、立たなければ、と。
どう考えたって、即時停戦しかないから。

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