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毎日子どもが犠牲になる日本国内の性犯罪を調べていると、この国は現実に存在するのかと思いはじめる。毎日子どもが犠牲になる日本国内の性犯罪を調べていると、この国は現実に存在するのかと思いはじめる。

退職する前、子どもの人身売買を阻止するプロジェクトに従事していたことがある。巨大な子供売買の世界ネットワークは、世界中の政府が合同で対処しない限り、どうにもならない。なんとかしたいという政府もあり、そういう政府から依頼を受けていた。

国名は出さないがそういう政府は子どもが輸出されてしまう側の国で、貧乏な国だ。転売をいくつか重ねて子どもの行く先は、人権保護を声高に説く金持ちの西欧諸国だ。しかし、"人身売買を糾弾する"とか"人権保護"とか念仏のように毎度演説する金持ちの国々が、実際にそれを実現しようとする努力にはお金を出す訳ではない。いつまで経っても子どもの人身売買は終わらない。

この国の性犯罪を調べていると、子どもを餌食にする性犯罪の裏には子どもを対象とした性犯罪を生む巨大な土壌が広がっていることを感じる。

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一つの犯罪が突発的に社会的文脈から孤立して発生するわけではない。その一つの性犯罪の裏には潜在的には同種の性犯罪が膨大な規模で存在している。たまたま一つが発現して犯罪として知られることになるが、次はいつどこで誰が犠牲になるか分からない。

社会的文脈というのはあらゆるものが含まれる。子どものエロ画像が公共の場に氾濫することが珍しくなくなり、政府機関のポスターにも内容と無関係に性的視線を意識した子どものイラストが使われ、写真撮影会に幼い子どもたちを喜んで提供する親たち等々。

それぞれが性犯罪に直結するとも、性犯罪だと言ってるのではない。もっとゆるい、社会で共有されていく感覚のようなものに意識/無意識にかかわらず、"子どもを性的視線で見る"ということが浸透している。

それを土壌と呼ぶべきか社会的文脈と呼ぶべきかは大した問題ではない。それを共有する日本人人口の中の大きな塊が確固として存在するのが深刻な問題なのだ。

日本人みんながそんな黒い塊の一員だとはとても思えない。子どもを性的対象として見ることを徹底的に嫌悪している人々も多くいるとまだ信じている。
その人たちの塊を作って黒い塊に汚染された土壌を洗浄していくことも、このプロジェクトの役割の一つかもしれない。
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